【バンカライズム9期 引退ブログ】 ”会計”庄司彩乃
- バンカライズム-万色主義-

- 2025年11月29日
- 読了時間: 11分
更新日:2025年11月30日
はじめまして!10代目バンカライズムでは会計/制作局員を務めさせていただきました。
9期のあやのです!

このブログでは、バンカライズムに入会するまでの経緯から始まり、9代目と10代目の軌跡を辿りながら、バンカライズムとして活動する間、何が私を突き動かし、夢中にさせ、ここまで頑張れたのか自分なりに紐解いていきたいと思います。二年間に思い出が詰まり過ぎているので、その中でのハイライトをピックアップしながら書いていこうと思います。これを書き始めた今は、まだ自分でも結論が出ていない議題なので、わくわくしてます!拙い文章で長くなりますが、良かったら読んでいただけたら嬉しいです。
入るまで
9代目
10代目
まとめ
入るまで
バンカラに入るまでの私の人生やバックグラウンドについてお話します。興味ない方は2へgo!
小学校のときはダンス(hip hop)を習ってました。中高6年間は体操部に所属していて、器械体操、新体操、ダンス、と幅広くやっていました。昔から、苦手なことと得意なことがハッキリしてて、習ったことをそのまま表現したり、決まった型にあてはめることは得意なほうでした。
だから、小学生のときにダンス習ってたときも、中高で体操部に所属してたときも、正解とされる形に揃えてましたら意外に褒められて、ただただ楽しいという気持ちだけでやってました。
また、小学生の頃からTaylor Swiftが大好きなのもあって、中高時代もあやのといえばテイラーみたいになってた気がします笑。そんな大好きなテイラーが何言ってるのか理解したい!と思って、英語の勉強を頑張って、早稲田に入学しました。そう、バンカラの赤い妖精まおちゃんとは同じ学科で出会いました。
大学生活といえばサークル!と思って、沢山調べたり、新歓に行ったりしました。でも飲みサーは性に合わないし、運動しないのもなんか違うなと感じて春は結局どこにも入りませんでした。マイルストーンきっかけでバンカラのことは春の時点で知ってて、めっちゃ気になるけど秋入会じゃん〜!って残念に思った記憶があります。笑
入学したては大学の鬼課題にも慣れておらず、夏まで割と忙しい日々。毎日大学通ってたまにバイトして遊んでたら、あっという間に夏にイギリスへ留学へ。
帰ってきてから、怠惰な夏休みが1ヶ月ほど続きました。時差ボケを言い訳に、日が暮れるまでNetflixを観て、ろくにバイトもせずに友達と遊んでっていう堕落生活を送っていました。
そんなこんなであっという間に大一の早稲田祭。観に行く側でした。大学の友達のパフォーマンスを観に行って刺激を受けてました。唯一、バンカラのステージだけは自分で探しました。一緒に回ってた友達に、「バンカライズムのパフォーマンス観に行きたい!」とお願いし、3号館前のステージを遠くから見ました。あんなに遠くから見たのに迫力がすごくて、異様な熱気が伝わってきました。そんな全力で叫び踊り狂う姿を見て、一緒にみてた友達に「私ここに入りたい」って言った記憶があります。(その友達は、バンカラ入ってからも毎年みてくれました☺️)
今までやってきた「正解の動きを求める」ダンスとは異なり、新しく殻を破ったパフォーマンスをしてみたいと思ったのです。
早稲田祭が終わって、大学からいつも一緒に帰ってたまおに帰りの電車でなんかの拍子に「バンカラ興味ない?新歓一緒に行かない?」って誘いました。なんでまおを誘ったのか思い出そうとしましたが、多分勢いとノリです。なんせしょっちゅうフッ軽で放課後遊びに行ってましたから。まおはバンカラのこと何も知らなかったけど、「雑技団」として旗を使うバンカライズムに興味を示してくれて一緒に新歓行くことになりました。

新歓の率直な感想は、楽しかった!!久々にダンスをして単純に楽しかったのと、あんな踊りは激しかった先輩たちがこんな優しく話しかけてくれるの…?とギャップにも惹かれて入る気まんまんに。その後の説明会では、まおと「え…週3もあんの!?」「ま〜サークルだしほどほどでいいか」なんて実は話してました。毎日朝から晩まで学館に籠る生活が待っているとは知らずに。笑
まおと進捗を報告し合いながらウキウキで入会フォームを書きました。
入会後(9代目)
晴れて入会することができました。まおと一緒に帰ってたときに連絡が来たのですが、最初私だけしか来てなかったのでちょっと気まずかった笑。解散してからまおも無事に入会出来たと知って嬉しかったです。
入ってからは、新しい扉が開けた、そんな実感がありました。久しぶりのダンス、だけど初めてのロックダンスで、大人数でのとやぱも「給水(パチン)」も全部新鮮で楽しかったです。でもダンスに関しては、正直ここでも結局型にあてはめてやったら出来るんだろうな、なんて思ってました。でも覚えるのに必死でもがいて自主練行ったりして、それも全部新鮮で楽しい気持ちでやってました。
正規練外でも、みんなと話しててたくさん刺激を受けた記憶があります。個性豊かなメンバーが多いので、斬新な考えに驚かされたり、価値観が変わったりすることも多く刺激的な日々を送っていました。尊敬出来る人や面白い人や変人が多くて多くて。私が思うバンカラの魅力の一つは、バンカラというコミュニティじゃなかったらまとまらないであろう個性溢れる一人ひとりが、同じ目標のために一つになってがむしゃらに頑張るところです。それをお披露目する場でもあるステージはどれも思い出深いですが、デビューステージで見た景色は特に鮮明に覚えています。

さて、バンカラ(だけではないと思うけど)は小さい会社のように、一人一人が役割を持ってお仕事面でもたくさん働く機会があります!9代目で、ダンス以外で初めてちゃんと仕事に関わったのはコラボ担当でした。これが私が仕事面で貢献することの楽しさや支えるやりがいを覚え、三役を目指す原点となりました。偉大な親分に道標を示してもらい、私はただ教わったことをやったまでですが、はるかとも協力して、終わった後には大きなやりがいを得ることができました。人と協力して仕事をするなら、私にも出来るかもと思いました。お二人とは今でもたまに飲みに行くほど仲良し!感謝でいっぱいです😽✨✨

パフォ面では、バンカラは早稲田を中心とした多種多様なステージに月1、2ペースで出演しますね。今まで努力して頑張ってきたことをお披露目する瞬間、ステージから見える景色がその時々で変わるのがとっても好きでした。この披露の場がたくさんあることが、私の頑張る原動力の一つではないかな、と考えています。実際に観てくれた方から直接感想を頂いたときは本当に嬉しくて、また頑張ろうっていいサイクルが生まれていたんだと思います。特に印象に残ってる出来事は、早稲田祭2024の単独ステージ後に新歓ビラ配り中のこと。ある受験生の子とそのご家族とお話しする機会がありました。その子はYouTubeでバンカラのパフォーマンスを追ってくれてて、観に行くのが念願だったんだそうな。「めっちゃかっこよかったです!いつか入りたいです」って言ってくれて、本当に嬉しかったです。一年前の出来事なので、その子がバンカラに入ってくれたら嬉しいな〜なんて思ってます。

いつしかダンス未経験だった同期も努力を重ねてどんどん上手くなっていきます。時系列が前後しますが、下駄さん公演や、バンフェスのときの控室でみんなが踊っている姿と自分の踊りを重ねて見ていて、気づいたことがありました。それは、型に当てはめて踊ることが必ずしも正解なわけでもないのだ、ということです。そう思っていたとき、先輩に詳しく教えてもらう機会がありました。そのときに、「あやのはあと3ヶ月したら上手くなると思う!」って言ってもらいましなた。今思うとそれが、踊りに対して野心に火がついた瞬間だったのかなと思います。そこから9代目が終わって、9期だけの時間や新歓期、10期が入ってきたてのときなど、比較的余裕があった3ヶ月間、自分なりにもっと上手くなろうと思って踊りを見つめ直しました。確かに成長できた期間だったと思います。一人一人の踊りを観察しても踊り方は人それぞれだし、揃えるところはもちろん揃えるんだけど、その中でも個性を出しつつ想いを込めて自分なりの正解を見つけよう、と決めました。
幹部代(10代目)
三役になってから、10代目では仕事面でも、パフォーマンス面でも、バンカラにできる限り関わって貢献しよう、という意識が芽生えました。また、私は頑張る指標として、自分がバンカライズムを生きた証として何か残したいと思い、振り制作や担当になって構成作成に関わってきたように感じます。

なので幹部代になってからは、下の代でいたときよりもずっと忙しい日々を送っていたように思います。それはパフォーマンスの機会が増えたこともあるかと思いますが、仕事量が桁違いに増えました。仕事量が増えるということは、責任も伴います。ほとんどの仕事は自分が希望したり決めて任せてもらったりしたものですし、やると決めたらやり切る性格なので思います。でも、バンカラ以外でも頑張りたいことがあるときに事務系の仕事も沢山あってキャパった時期もあるのも事実です。🥲
キャパった原因は、私は仕事を振り分けたり、その説明をするくらいなら自分でやってしまった方が早いのではとか思って、勝手に仕事を抱え込んだことでした。その疲れが練習にも支障出てた気がして、同期に相談したところ、「仕事を振り分けるリーダーシップもあるんだよ」っていう言葉をかけてもらいました。ハッとして、仲間を信頼して任せるっていうの大切なんだな、と気づきました。また、そこからは自分のキャパを超えた無理をするのはやめよう、他の人と比べないで、十分頑張ってるんだから自分のできる範囲で全力を出そうと思いました。これは引退2ヶ月前くらいの気づきでしたが、大きな学びでした。
仕事以外では、バンカラは会議系サークルと言ってもいいほど会議が多いです笑。私は中高体操部での経験から「決めごとは絶対に揉める」という学びを得ており、強い主張を持ってることもそんなになかったので周りの意見に合わせがちでした。バンカラは、期関係なくフラットにみんなよく発言する。ぴりっとした空気感にまじかよって思うことも多々ありましたが(笑)、同時にみんなただダンスだけじゃなくてV、雑技、構成、snsとか色んな角度からみんなが「伝える」に向き合って考えてて、そんな集団の一員であることが誇らしかったです。このような、「伝える」という形に正解がないのもバンカラの魅力の一つであり、頑張れた理由だったと思います。

バンフェス期間から早稲田祭期間は、朝から晩まで練習の日々を駆け抜けました。練習場所のために睡眠時間削って早朝から学館に凸ったり、時間ない中で会議したり。時給がもらえたらどんなに良かったか、なんて願ったことさえあります笑。文字通り「泥臭く」活動し、たった一瞬一瞬のパフォーマンスのために全てを懸けてきました。犠牲にしてきたものをあげたら、正直キリがないと思います。じゃあ何が私を突き動かし、夢中にさせ、頑張らせたのか。

それは、共に本気で向き合う仲間に出会えたこと。そしてそんな仲間と共に作り上げるバンカライズムが好き。それが私を一番突き動かし、一番の頑張る理由となりました。数えきれない犠牲や、仲間なしでは決して得ることが出来ない自分の本気を知ることができたのは、人生の中で大きな経験であり財産です。

まとめ
バンカライズムとして過ごした二年間は、突き詰めて何かに本気で頑張ったことがなかった私に、こうして本気になる(=野心に火をつける)ことの意味を教えてくれました。それは決して楽しいの気持ちだけではなく、色々な感情に出会うけれど、それを乗り越えた先に見える景色のために、ただがむしゃらに目の前のことをこなすことの意義を知ることができました。かなりエネルギーが必要なことだけど、ここまで継続して走り抜けられたのは、紛れもなく共に本気で頑張る仲間がいたからです。踊るだけじゃなくて多方面で頑張るみんなを見て、自分も頑張る力を得た。そんな仲間達となら多くの人に伝えて、全て人の野心に火をつけられると信じる力を得ました。ここには書き足らないくらい、とっても濃い二年間を過ごさせてもらいました。バンカライズムとしてステージに立ち、貴重な経験を沢山できたのは、支えてくださった沢山の人たちのおかげです。
夜遅く帰っても夜ご飯を用意してくれて応援してくれた家族、色んなステージに応援しに来てくれた友達、今まで関わって支えてくれた他団体の皆さん、8期さんをはじめとする偉大な先輩方、しっかりしつつもかわいい10期、そして大好きな奇想天外な9期へ
今まで本当にありがとうございました!!

p.s. みんな引退しても沢山会ってるけどこれからも定期的に会おうね!!









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