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【バンカライズム9期 引退ブログ】 ”副代表”毛利琴乃

  • 執筆者の写真: バンカライズム-万色主義-
    バンカライズム-万色主義-
  • 2025年11月29日
  • 読了時間: 7分

更新日:2025年11月30日

はじめまして。


10代目バンカライズム-万色主義-で副代表を務めさせていただいていました、毛利琴乃と申します。



ブログって素敵で、10年後のバンカライズム20期(私は9期)とかが発掘して読んで10年前の副代表に想いを馳せるなんてこともできるかもなわけで。


自身を出せる環境においては、本当にかましたがりで天邪鬼で「普通」とか言われるのが一番プライド傷ついたりするという性質をもつ、めんどくさい私なのですが、ここにはできるだけありのままを残したいななんて思っています。


このブログが、そんないるかもわからん誰かの何かの心灯る瞬間なんかになったらめっちゃ嬉しいですね。



なぜバンカライズム-万色主義-に入ったのか。


特に突出してスポーツが好きなわけでも、できるわけでもやってきたわけでもない私は、早稲田大学文化構想学部を目指して思いの外苦しんだ受験期を過ぎ、早稲田大学スポーツ科学部に入学しました。


理由は、たまたまスポ科だけ受かったから。


その時の私にとっては早稲田に入るということに意味がありました。

受かった後、まあ学部はいいかと思い、早大生としてなにしようと考えた時、パフォーマンスをしてみたい、が出てきました。小さい頃からステージとか好きで、目立つことも好きでした。早稲田のパフォサー。やりたい!なりたい!とすぐに思いました。


入学。スポ科の学部生として所沢キャンパスに通い始めました。とこキャンかぁ、マイノリティだと、勝手に少し思いながら。


そしてある日勇気を出して所沢からガタンゴトンと西武新宿線に乗り大隈講堂へ、パフォサー合同新歓公演RIDE2023を1人で見に行きました。



そこで愛知県から出てきた少女は早稲田のパフォサー文化をその輝き熱量を目の当たりにするのです。


「凄い、羨ましい、こうなりたい」と思うと同時に「怖いな、所沢からの人は本キャンの人にいじめられたりするんじゃないの?

ていうかそもそも所沢の人とかいるの?

スポ科?バカじゃん、所沢体育大学がよ!!とか罵られたらどうする?

みんなの話についていけなかったら??」

と被害妄想をしまくり、気づいたら帰りの西武新宿線では、勝手に悲しんで、そういう思考回路の自分も嫌で情けなくて1人でしくしく泣いていました。


所沢キャンパスにいること、ましてやスポーツ科学部の人間であることをマイノリティだと感じていて、自分の中で入学式からコンプレックスになっていることにはうっすら気づいていました。


でもそう思わないように、自分がそう思ってしまっていることに気づかないように言わないように意識して過ごしていたのに、RIDEでパフォーマンスをする「本キャンや文キャンの」早大生の姿は私にそれを気づかせてきました。


そうして、春、パフォサーにはもちろん入れず新歓にも何一つにも行けず、やってみたいことには絶対踏み出せないくせに、ずっと心のどこかで諦められない往生際の悪さだけ持ちながら、私は所沢キャンパスの友達に誘われた所沢のスポーツサークルに入りました。


挑戦できなかったその言い訳は、

初の一人暮らしもスタートだし、バイトとかも始めるし、春にいろんなことに挑戦しすぎるのは怖いから

という最もらしいものに決めました。


しかしもうひとつ、決めたことがありました。

チラシをもらった、バンカライズムとかいう「秋新歓」のこれに、秋にまだパフォサーを諦められていなかったら、この新歓にだけは勇気出していこう、ということでした。

理由は、みんなが秋にスタートだから。

「万色」「万」の中になら私も入ってるんじゃないかと思ったから。受け入れてもらえるじゃないかと思ったから。


そうして、

今のスポーツサークルは、居場所じゃないんだよなぁとか文句を言いながら、愛想笑いばかりの「らしく」居られない環境で、どんどん無気力になる自分のことが嫌いになっていくばかりの大学一年生の半年間を過ごしました。


ようやく秋になり、もう私は大学辞めたいが口癖になっていました。


バンカライズムのことを、新歓に行く勇気を踏み出す前にこの目で見ておきたいから行かなきゃなのに、自分の今を思い知らされるから、早稲田祭にも怖くていけませんでした。


でもここだけは自分のために勇気を出すとやっぱり踏ん張って、バンカライズムの新歓にだけは行きました。夜の理工キャンパス側の戸山公園。不安すぎてマジで途中何回も帰ってやろうと思ったけど、なんとかそこに辿り着き、バンカラビートを教えてもらってから、8代目代曲「リベリオン」を踊る姿を見せてもらいました。


サビをセンターで踊る大きな男の人の姿に、衝撃を受けました。

9代目代表の木暮龍馬です。

大学に入って初めて、こうありたいと思う人に出会いました。

踊っている時の姿も、説明会での言葉も全てが刺さって、もう気づけば入会フォームを送っていました。



バンカライズムに入った私の生活は180度変わりました。


そこには、本気になることが当たり前で、何かにずっと一生懸命で、多様性を受け入れて、尊重しあっている人たちがいました。

それは私が半年間求め続けていたことでした。

バンカラに入って初めての会議テーマ会議で先輩達が意見をぶつけ合って衝突している姿を見た時、本当に嬉しくて。

こんなに本気の大学生達いたんだ、とここに身を置けるんだと、嬉しかったのをとても覚えています。


そして、バンカライズム-万色主義-には「すべての人の野心に火をつける」という理念がありました。


入ってからどんどんバンカライズムのことを知っていった私は、向き合っていくうちに

その理念をちゃんと理解しました。だから新歓で見たあの姿はあんなに刺さったのかと。こちらに伝えようと届けようとしてきていたからなのだと、私はあの時野心に火をつけられたのだと、わかりました。


それから、一年間。そこには所沢で腐ってた自分にとってあり得ない景色ばかりがありました。



誰かがステージの上の自分の名前を呼んでくれること。

尊重して必要としてくれる人がいること。

頑張ることができる理由があること。

見たい景色や感じたい瞬間があること。

それに誰かと共に向かっていけること。


明日も生きたいと思えること。


本当にありがたかった。



そして先輩たちが引退し、私は副代表をやらせてもらうことになりました。


幹部代の一年間、

みんなも自分も本気すぎて、バンカライズムがしんどい瞬間なんてのは正直いくらでもありました。思うようにいかないことだらけで人と自分を比べて劣等感を感じまくりました。単独公演「万色祭」早稲田祭という大舞台に向かっていくほど体調も精神も崩れていって、練習も、バンカラ関連のLINEが来ることもしんどかった時期もありました。原因不明の蕁麻疹にずっと悩まされ、急に電車でぶっ倒れたりもしました。

バンカライズムってのは、ステージにたどり着くまでにみんなボロボロになりながらとことんバンカラと向き合って突き詰めるんです。


でも


バンカラに入る前の何もできなかった時の、ただ劣等感を感じていただけの自分を知っていたから、「でももう自分にはこれしかないんだ」と心の底からずっと思っていたから、踏ん張ることができました。


そして何より、バンカライズム-万色主義-としてあの時の自分のような誰かを救いたいという気持ちがずっと私を突き動かしてくれていました。


それはバンカライズム-万色主義-という形のおかげであり、昔の私のおかげです。


バンカライズム-万色主義-としてもがいた二年間の中で抱くことのできた全ての感情は、最高に泥臭くて人間臭くて私の人生にとって本当にかけがえのないものでした。



私が2年間を通して向き合い続けた

バンカライズム-万色主義-は

現状に満足していない燻っているあの子や、今の自分に満足していると今は思っているあの子、何かに踏み出せなかった情けない経験をもったあの子や自己肯定感を失ったあの子、特に何も考えていないあの子にも。

その方向を「万色」の人に向けて、寄り添いながら受け入れながら、パフォーマンスでその姿でオラオラ迫ってくる、そんな集団です。

やっぱり最高にかっこいい。


自分がバンカライズム-万色主義-であったことは過去になるけれど

これからも心の中にバンカライズム-万色主義-がいる。

いつかまた立ち止まった自分に出会っても、バンカライズム-万色主義-の姿を見れば、歩き出せるんじゃないかなんて、執着しながら、もがきながら泥臭く生きていきたい。


ありがとうバンカライズム-万色主義-。

これからもよろしく。




10代目バンカライズム-万色主義-

副代表 毛利琴乃


 
 
 

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