万色祭2026「カレイドスコープ」を終えて③

万色祭2026の統括を務めました。福本千晴です。
「統括」をバトンパスして早一ヶ月。まるではるか昔みたいに遠く感じる統括として駆け抜けた日々が自分の中でものすごく愛おしいものになっています。
いろいろあったバンフェス制作期間。赤裸々にお話できればと思います。少々長くなりますがお付き合いください。
万色祭2026が動き出したのは去年の万色祭が終わったその次の日から。
ものすごく個人的な話ですが、私は大学に入学するタイミングで一冊のノートを買いました。夢を書くでもよいし、楽しかった友達との旅行の思い出をまとめるでもよいし、とにかくそのノートを大学で得たことで埋めて大学卒業するまでに使い切ると決めていました。私の万色祭2026はほとんど使っていなかったそのノートの最初のページに「なりたい統括像」を書き込むところから始まりました。
ちなみに余談ですが、このあと1年間統括人生を共にするそのノートなんですが、万色祭の当日の朝に統括挨拶を考えている時に壊れたんですよね。なんかエモい。まさかあのノートが万色祭のことでいっぱいになるなんて入学当初は思っても見なかったので、感慨深いです。人生って面白い。
今、このブログもノートを読み返しながら書いています。
ここからは時系列順に当時の自分を振り返っていきたいと思います。
まず、私にとって大きな転機となった11月。早稲田祭。
私たちは最後EFで10代目を終えさせていただいたのですが、そのEF後、隈ステ横でおそらくみんなの人生史上いちばんいい顔して泣いたり笑ったりしているメンバーの顔を見て
「あぁ10ヶ月後、バンフェスが終わった時にこの人たちにこの顔に、この感情になってほしい、いや、なってもらわないといけない。けれど、そんなことが自分にできるんだろうか」
というプレッシャーが急に押し寄せて来ました。
荘厳な隈講を見上げながら一人でエンエン泣いていたのを覚えています。
その時に「私は統括としてみんなの時間を預からせてもらっているんだ」という感覚が自分の中に芽生えました。
早稲田祭期もそうですが、バンフェス期の練習って本当に辛い。毎日朝から晩まである修行のような練習自体もそうだし、長い時間人と一緒にいることでその人のいい部分や悪い部分を知って、相手や自分自身に毎日向き合い続けなければいけないこの期間は心身ともにボロボロになっちゃうことが多いんですよね。それでも最後ステージで強い高揚感や達成感、多幸感に包まれることでやっと、あのしんどさをも大切な記憶にできる。逆に言えば、ステージがいいものでなければ最悪の記憶で終わりかねないということ。
みんなにたくさんの時間をかけてもらってみんなの時間を預かるからには、何がなんでもこのバンフェスを成功させなければいけないのだという責任?恐怖?に改めて襟を正しました。
これ以降、
自分の中で統括として大事にしようとしたことは
「向き合う」
ということでした。
組織をまとめる役割になるとどうしても一人ひとりのことを「大勢のうちの一人」と考えてしまいそうになるけれど、一人ひとりにその人の人生がある。少数だからいいや、とはせず、ひとりさえも大事な【1】として向き合い続けるということ。これだけは忘れずに統括をしようと決めました。
12月。
下代である11期ちゃんたちをお迎えしました。
ようこそバンカライズムへ。
いらっしゃい。
バンフェスを共にする仲間が増えたことにワクワクしつつ、ますます背筋が伸びる気持ちでした。「向き合う」べき人たちが更に22人増えたので。
そして、年を越えて1月。
12月末から1月にかけて本格的にバンフェス会議を行いました。この頃の私は
「とんでもないものを作りたい。
人生すべてかけてたい。
自分だからこそできるものを作りたい。」
と、なんだがものすごく焦っていました。
「統括」という仕事にもまた改めて向き合って、
人生で最初で最後になるであろう「統括」という日々を思う存分に抱きしめる方法を模索していました。
模索した結果、
バンカラは「ありのままの自分」を許容してくれる素敵な場所だからこそ、その「ありのままの自分」をまずは自分が大事にしてみようと思って、その第一歩として私が大好きな《言葉》というモノを大切にしてみようと思いました。
《言葉》って好きなんですよね。自分を相手に押し付けすぎず、でも相手の心が動くきっかけになることがあるから。
そこで「統括制作日誌」なるものを個人的に始めました。これは不定期でバンカラメンバーが全員入ってるLINEグルに、考えていることとか伝えたいことを今書いてるブログみたいにまとめて共有したもの。
よくテレビドラマとかの公式サイトでよくプロデューサーの方が「撮影レポ」と題して撮影の裏側をリアルタイムに伝えているコンテンツがあるんですけど、それが昔から結構好きで。精巧に作り上げられたフィクションの世界の裏に込められた作り手の想いとかに触れるとより、その作品に対して愛情湧くじゃないですか。そんな風にみんなのバンフェスに対するモチベになればなと思いつつ、半分ひとりよがりな自己満でしたけどバンフェス期にぽつぽつ言葉を綴ってはみんなに共有しておりました。
2月。
いろいろ苦悩し始める頃です。
基本的にバンカラはステージに関するものを全て自分たちの手で「全員」でつくるということを大事にしています。演出や構成もみんなで話し合いながら作ったのですが、バンフェスに込めるメッセージ性についてはみんながものすごく統括を立ててくれて、「統括の二人が込めたいメッセージ性にしてくれたらいいよ」と託してくれました。
これがもう大変で、大迷走。
私たちは【バンカライズム】であると共に【万色主義】であって、そのどの主義をも否定することはできない。
今年のバンカラは
みんなのやりたいバンカライズムが違っていると私は感じていました。
公演の演出構成のベースはある程度確定したにしろ、
バンカラの良さはみんなで作ることなので、これから各担当が、メンバーが作り上げていくナンバーを入れてみるとバンフェスはまた顔が変わるんだろうなと。だから、バンフェスは未だ完成することはなく、これからも変わり続けていく。
だから、みんながそれぞれの【バンカライズム】を発揮して、それが上手く一つのメッセージ性へと結びつくようなそんな、余白のあるメッセージを込めたい。
けど、自分とって思い入れの強すぎるバンフェスだからこそ自分にしか言えないようなことを言いたいというこだわりもあり、ううむ。
いろいろ苦悩しまくった結果、
「全ての色が等しく愛される場所。それは夢じゃない。現実にするために私たちは、ここにいた。」
という文章をエピローグの最後につけました。余白は残しておきたいのであんまり詳しくこのメッセージ性について述べるのは避けたいんですが、あくまで一つの意味として私が込めた想いを語っておくと、
私はかなり「らしさ」というものに苦しめられてきた人間なんですよね。
特に中高の多感な時期、自分の価値に悩み続けてきました。
私は「憧れ」の感情がとても強くて、
自分にはない素晴らしいものを持っている人にひどく憧れて、その人になりたくて、自分を変えたくて、けど変わらない自分に苦しむような
「ないものねだり」の日々を過ごしていました。
ある時、
どんな人を素晴らしい人にするかという価値観は人によって違うことに気づきました。
当時、自分の憧れの人は万人にとって100点満点でその価値は変わらないと信じていました。
だけど、人それぞれ何を大事にするかは違う。
自分にとっては「嫌いな自分」でも
誰かにとっては「なりたい自分」なのかもしれない。
誰かの「ないものねだり」の相手が自分なのかもしれない。
けれど、自分には自分しかなれないのだから
じゃあ、その自分を大事にしてあげるのもいいのかもしれない。
「ないものねだり」ばかりの自分をたまには「褒め褒め」してあげるのも大事。
人によってはそんなこと当たり前だと思うかもしれないんですけど、そう思えるようになったことは私にとっては革命で。
自分の「らしさ」を尊重すること。
誰かの「らしさ」も尊重すること。
それがどれだけ素敵なことか。
まだ地球歴21年のペーペーですけど、それなりにここまでこの人生、「らしさ」に苦しみ悩みながらも、もがいて必死に生き延びてきた私だからこそ、万色主義の一人としてのある程度説得力を持って伝えられるメッセージかなと思いこのバンフェスに込めてみました。私のメッセージは届きましたでしょうか?
3月。4月。5月。6月。
一気に飛びますが、この四ヶ月が個人的にはバンフェス期でいちばん闘いの期間でした。
ナンバー制作期間。
他団体さんやバンカラメンバーが本格的にバンフェスに関わり始めて、多くの人と「向き合う」日々。
自分に課した「向き合う」という試練は、思った以上に大変なものでした。
統括挨拶で述べた「みんな違ってみんないいなんて綺麗事は言いたくなかった」というのはこの頃に強く感じていたことです。
我々バンカライズムは自己主張をはっきりすることを美学としているサークルなので、よくそれぞれの【主義】と【主義】がぶつかります。
私は元来、とてつもなく弱っちいビビリ人間なので、意見の対立をみるだけで怯んで逃げ出したくなってしまうんですが、「向き合う」も決めた以上、逃げるなと自分に言い聞かせて戦場に残りました。
大事にしていたことはたくさんあります。
まずは、双方の【主義】にきちんと耳を傾けること。人づてで聞く誰かの話は、その話し手のフィルターを通して話されるので少し歪みがあると思っているので、あくまでその話は参考程度にして、自分自身が本人から直接聞いた話しか信じないこと。
そして、私から見えているその人はその人のほんの一部に過ぎないということも忘れずにいようと思っていました。自分が知っているその人がその人のすべてではない。
あと、話を聞く身としてどこにも肩入れしないように必死に意識していました。強いみんなの【主義】によって色付けられそうになるけれど、染められないように真っ白であり続ける。これが結構しんどくて真っ白でありたいという私の願望が、気づけば私自身を蝕んでいたように感じます。
「向き合う」って案外エネルギー必要で自分すり減らすんだってことをこのバンフェス期でよく学びました。
そして7月。
さぁ、練習本格開始です。
ここまで来たらあとは踊り狂うだけです。
気づけばバンフェスを作り出してから早10ヶ月。まるでパズルのピースがどんどんはまっていくみたいにいろんなナンバーが形作られて真っ白だった2時間が埋まっていくのを見てものすごくワクワクしました。
ここから約2ヶ月。統括としてできることは限られてきました。あとはどれだけみんなのボルテージをあげ、その熱量を同じ方向へと集められるか。それがバンフェスの完成度に大きく関わってくる勝負の日々。私がクヨクヨなんてしてられないと、前を向いて残りの期間を駆け抜ける決意を固めました。
8月。
みんなが人間の限界を迎え日に日にボロボロになっていく8月です。こうなることはバンフェス期の宿命であり、ずっと覚悟はしていたんですが、改めて目の当たりにすると結構メンタルにきました。私にできることは目の前の一人ひとりに「向き合い」言葉を紡ぎ続けることくらいでした。
「万色主義」ってなんでこんなに難しんでしょうか。たくさんの人の本音を聞いて、感情を浴びていると、もう一体何が正しくて、何が間違ってるのか分からなくなります。というか、そもそも正解なんてないんでしょうけど。
ただ一つ言えるのは
あの時に、そこにはたくさんの「生身の人間」がいました。
自分が、他人が、今日という日が
嫌になって、
苦しんで、
悲しんで、
泣いて、
笑って、
葛藤して、
もがいてる。
ある意味、「燻っている」人たちが泥臭く強く生きていました。
どうか、9月11日にはこの燻りが力となっていたらいいなとひたすらに願っていたような気がします。
9月11日。
いよいよやってきました。
本番当日。
1年前から向き合い続けてきたバンフェスの当日、自分は一体どんな気持ちなんだろうかとずっと楽しみにしていましたが、実際は案外あっさりとしていました。
「お、今日かぁ」くらい。
というもの、1年近く大事に育ててきたバンフェスは結構もう私の手元を離れている感覚でした。
あとは、みんなが作り上げてくれる。
共に戦った仲間達は私が思うよりも何倍も強くてしぶとくて、自分の足で凄いところまで進んでいける人たちでした。
みんながバンフェスをものすごいところまで連れて行ってくれた。
本番もまるで
自分の手元を巣立っていく我が子を見守るような感覚でした。
一応、自分も出演していたはずなんですけどね。なんだが他人事のようでした。
「すごいなぁ、大きくなったなぁ」
な〜んて愛おしく考えているうちに、気づいたら終わっていました。
こうして私の統括人生は幕を閉じました。
終演後、
みんなの顔は、
あまりにもいい顔をしていました。
その「顔」が私のバンフェスのすべてでした。
必死に駆け抜けた1年間は最後、あまりにもあっさり終わったけれど、まぁこんなもんなのかもしれませんね。
統括楽しかったなぁ。
今はその温かな達成感だけ手元にありますが、日を重ねるにつれてきっとあの日々はもっと意味深い愛おしいものになるんだろうなと思っています。
ありがとう、統括。
長々と書きすぎたので終わりはこれくらいあっさりにしておきます。
お付き合いくださりありがとうございました。



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